■BAJA CHICKEN 第26羽 「05/27 プリラン初日の悪夢(2)」

■検問所にて
公式ルートマップ(PDF)にもあるように、3号線を東へ進んでいくと南北に走る5号線とぶつかる。この5号線は南へ行くとSan Felipe(サン・フェリペ)方面、北上するとMexicali(メヒカリ)の街へと通じている国道だ。ヌエボ付近からだと交差するポイントまでは100km強。何もない荒野の真ん中を貫く舗装路を走っていくと、はるか彼方地平線のあたりにブルーの帯が見えてくる。風景のスケールが大きすぎて、最初は自分が何を見ているのか分からなかったがそれがカリフォルニア湾(コルテス海)だった。
5号線に入る直前にメキシコ軍(?)の検問所があった。あるのは簡素なゲートと小さな小屋のみ。ALTO看板にしたがって車を停めるとH&K G3を肩からさげた兵士が近づいてきた。どう見ても中学生か高校生くらいにしか見えない少年兵が3人。エンセナダから来てここへ行く、と地図を指し示すと、とりあえず車から降りろという。英語が通じなくて必死のコッツをよそに、俺はカバンから取り出したBAJA CHICKENステッカーを彼らに渡していた。これはサイトの右上にあるバハチキマークをまんまステッカーにしたもので、我らがTiLT Racing代表のユージさんがデザインしてくれたものだ。BAJA CHICKENロゴの上にスペイン語で"Los pollos del Japón(かの日本から来たニワトリたち)"と書いてある。そもそも英語がほとんど分からない彼らにはまったく意味は通じてなかっただろう。形式的に車内を調べられた後、通行の許可が出た。あとからセヌーさんに聞いたが、検問ではヘタにスペイン語をしゃべったりするとかえって怪しまれるので、一切言葉は分からないフリをする方が良いらしい。
■BAJAと言えばステッカー
もし、アナタが仲間とチームを組んでBAJAに参戦する時が来たら、どんなものでもいいからチームステッカーを作って持っていくことをオススメする。地元メキシカンたちは子供から大人までステッカーが大好きだからだ(ホントかよ)。ピットを設営して仲間を待っていると数人の子供たちがやってきて「ステカ、ステカ」とねだってくる。特に子供たちにとって、BAJAに出場するライダーはヒーローなのだ。今回はサポートポイントの位置が人里離れていたためそれほどでもなかったが、場所によっては数十人のメキシカンが集団で移動しながらチーム員からステッカーを狩る光景が見られるらしい。

また、街道沿いの小さなレスタウランテに入ると、店のガラス窓にこれまで訪れたチームのステッカーがところ狭しと貼ってあったりする。そこに自分たちのチームステッカーをひっそりと混ぜておくのも楽しみのひとつ。数年後、BAJAを訪れた友達が偶然それを発見した時のことを考えるとなかなか愉快だし、逆に知っている人たちの残したステッカーを見つけると嬉しくなる。なお、作る時はゼッケンやレース名・西暦なんかを入れておけば、のちのちの記念になると思う。
▲部品工房さんwww。
■RM160、ラグナ・サラダ
RM160のサポートポイントへ向かって5号線を北上すると、進行方向右手に広大なドライレイクが出現する。どこまでも平らな干上がった湖。最初、世界を隔てる薄茶色の壁が果てしなく続いているように見えた。あまりにも平ら過ぎてまたまた脳みそが目から入る情報を理解できてなかったようだ。これがラグナ・サラダか……。道路脇のキロメーター看板はメヒカリからの距離を示しており、徐々に数字が少なくなっていく。教えられた通りKm87看板の先のダートロードを左手に入っていくと、本当に何もない荒野に一本道が続いていた。はるか彼方に山脈が横たわっている。ふもとというか地表近くは蜃気楼と一面銀色の逃げ水とが混ざり合った曖昧な様子で、やはり自分が何を見ているのかハッキリとは分からなかった。

目を凝らすとところどころに土煙が立ち上っているのが見え、何かがプリラン中であることを教えていた。あやうく道を間違えそうになりながらもレースコース沿いのサポートポイントに到着すると、ライダーたちはまだ到着していなかった。時折バギーが通過するのを眺めながら待っていると、到着してから30分ほどで石井サチョーたちがやってくる。特にトラブルはないようだったが、一度タイヤがパンクしたのを修理したとのこと。最後尾を走っていたセヌーさんは、密かに自分と同じくらいの大きさのサボテンに抱きつくクラッシュをしていたそうで、ブレストガードやらなにやら脱いで細かなトゲを抜くのに30分ほど費やしたと言っていた。何もなければバイクの方が先に着いていたということか。やはりギリギリの距離なのだ。ただ、難所と思われていたサミットの登りは「あれ~? こんなもんだったっけ?」と思うくらい簡単になっているとのこと。下りはしんどいけど。まぁ、俺は走らないから関係ないけどw。
俺がセヌーさんの腕に刺さったサボテンの棘に見入っていると、コッツが「はよ準備しないと」と声をかけてきた。そうだった。ここからRM206ボレゴまでの約40マイルは俺の担当パート。いよいよ(2輪での)BAJA初プリランの時間だ。時計の針はすでに4時近くを指していたが日差しは真夏の昼時のように明るかった。ブレストガード、リアットブレース……と確認するようにひとつひとつゆっくりと装備をつけ、ガス・エアクリ・チェーンのチェックが済んだWR450Fにまたがる。すでにナカムラさんと唐沢さんが時間をあけてコースインしていた。よろしく頼むぜ、と話しかけるようにセルを押してエンジンを始動すると、ついに俺はBAJAの大地を走り出した。
■人生最高の20マイル
始まったのははるか彼方まで続くサンドのフープス。チャパラルで買ったOAKLEYサンドゴーグルに付いてきたスモークレンズを入れているにも関わらず、世界がほとんど真っ白に見える。走り出して5分も経たないうちに2度叫んでいた。体がまだ慣れてなくてコーナーを曲がりきれずに飛び出した時と、あとは歓喜の雄たけび。最高のBAJAがそこにあった。「地球に生まれて良かったー!」初めての割に微妙に似ていた。
※写真はイメージです。
BAJA直前の一カ月、セヌーさんは悩んだあげく俺にサンド(主にフープス)の走り方を叩き込むことに決めた。長い距離を走る練習やガレ場攻略も本当はやらせておきたかったんだと思う。しかし、限られた時間の中ではどれかひとつに集中せざるを得ない。河川敷にできた深めのサンドフープスを「実際のBAJAとはだいぶ違うがやらないよりマシ」と執拗に走らせられた。おかげで最初に走った衝撃の回から比べ、自分でも驚くほどサンドが嫌いじゃなくなっていた。いや、もっとハッキリ言えば好きになったのだ。スピードをあげて、ギャップの谷を底まで使わない走りができるようになった途端、目線もあがって視界が開けたのを覚えている。
ど真っ直ぐな砂のフープスを5速で駆け抜ける。ヨンゴーのマシンで5速に入れてること自体俺には信じられないが、ここではこれが「普通」でなにより「楽」なのだ。パワーバンドちょい手前くらいをキープして、うねりに合わせてちょっとアクセルをひねると簡単にフロントがあがるからそのまま2個、3個とギャップを飛ばしていく。セヌーさんが言っていたのはコレだったのか! もしもこの走り方を習得しないでここに来ていたら、悲惨な修行の旅となっていただろう。走りながらセヌーさんに感謝した。
コーナー手前ではアクセルを戻すとフロントが潜るので、4速に蹴り落としてパワーをかける。4速と5速をいったりきたりして延々と走った。道は細いところもあれば、どこを走ってもいいよとばかりに広がりを見せる場所もある。道が二股に分かれているところも多く、どちらを走っても最後には同じ道につながる。俺は本番を想定し、右へ右へとバイクを進めていった。良く見ると明らかに左の方がフラットな場所もあったが、道を選べるほどの余裕もなかった。名作ドライブゲーム「OutRun」だって右右右が一番簡単なルートだったんだからこれでいいのだ、と無理やり思い込んだ。
時折、隠れ岩や隠れもせず堂々と頭を出した岩にフロントをヒットさせると、そのたびに心臓がのどちんこにタッチして戻っていく。スピード感覚が麻痺しているのが分かる。しかし、砂の路面はあくまでも柔らかく、俺とバイクを優しく包む。そこにスピードからくる恐怖の感覚はない。流れる景色も何もかも夢のようだった。夢ならこのままずっと覚めないでくれ、と心から思った。
RM180あたりから路面は砂から硬く引き締まった土へと変わり、フロントを石にヒットさせてハンドルが振られる回数が増える。本来ならもっと急激にペースを落とすべき状況なのに、サンドのスピード感覚が抜け切っていなかった。ある程度スピードをキープした方が危なくない、と思い込んでいた。何度かヒヤッとするようなフロントの感触を受け続けた後、当然の帰結として俺は宙を舞った。走り始めてわずか20数マイルの出来事だった。
気が付いた時、俺はコース上に横たわっていた。マズい。プリランをしているのは俺たちだけじゃない。早くコースサイドに行かなければと思ったが体が動かなかった。転がるようにして移動すると左腕に違和感を感じた。痛い……なんだこれは……と呻いていると、1台のバイクが止まり、ライダーが降りてくるのが視界の端に見えた。俺のためにわざわざペースを落とし、最後尾でしんがり役をしてくれていたムラカミさんだった。なんとか立ち上がると、ムラカミさんがバイクを起こしコースサイドに移動してくれた。「大丈夫?」との問いかけに「うー、ヤバイかも……」としか答えられない。
ブラ下げた左腕の違和感はどんどん大きくなっていた。あぶら汗が出る。これが変な汁ってヤツか……。しばらくコースサイドで休んでいると、ムラカミさんが異常な角度にカチ上がったバークバスターを修正してくれていた。めり込んだワイドステップを石で叩いて戻すと、一部がグニャッと凹んでおり衝撃の強さを物語る。SHOEIさん、GAERNEさん、リアット教授、体の他の部分がなんともなかったのは皆さんのおかげですありがとうありがとう、と思った。
俺が腕を押さえてコースサイドにたたずんでいると、他にプリラン中のバイクがスピードを落として「あーゆーおけー?」と声をかけてくる。ありがとう大丈夫、とサムアップして先へ行かせるもののどう考えても平気じゃない。そこへ1台のバイクがやってきて止まった。ゴーグル越しに見てもわかる嬉しそうな目をしたその外国人は開口一番こう言った。
「キミたち、BAJA BROTHERSか?」
■ローレンス・ハッキング
その外国人はローレンス・ハッキングと名乗り(右手でシェイクハンド)、自分はモーターサイクルスポーツのジャーナリストだと自己紹介した。以下、その時の会話(だいたい)。
ローレン「大丈夫かい?」
ホッパー「左腕を怪我したみたいで……」
ローレン「そうか。ミカミって知ってるか?」
ホッパー「え、1週間前に会ったよ……」
ローレン「BAJAに来てるのか!?」
ホッパー「うんにゃ」
ムラカミ「502xを見つけたらトラブルだと伝えて欲しい」
ローレン「オーケイ。ところでハルキって知ってるか?」
ホッパー「う、うん……」
ローレン「俺はBIGTANK MAGAZINEでも書いたことあるんだよ(←興奮している)」
ホッパー「マジかよ!」
ローレン「バイクには乗れそうなのかい?」
ホッパー「たぶん……大丈夫」
ローレン「そうか。そうだT.B.Iって知ってるか?」
ホッパー「……四国のツールド・ブルー・アイランドのこと?w」
ローレン「イエス! ついこないだまで行ってたんだよ。さいこうだったね」
ホッパー「なんなんだwww(←日本語)」
なんだって俺は、はるばるやってきたメキシコの、それも普通の人間ならまず入ってこないような荒野の奥地で「オフロードバイク業界の狭さ」を痛感させられてんのかw。ローレンスは言いたいことだけ言うと、さっそうと走り去って行った。俺も少し笑ったせいで元気が出た。いつまでもみんなを待たせておくワケにはいかないし、とにかくセヌーさんにバイクを渡さなきゃ、という思いから再びWRにまたがった。
■人生最低の20マイル
「ゆっくりでいいからね」と声をかけてくれるムラカミさんにコクリとうなづいてからスタートしようとして、右側にそのまま転倒した。左のグリップがグニャグニャに折れていたのだ。「やばい、ハンドルが曲がっちゃいました!」と叫ぶと、ムラカミさんがすぐにバイクを起こして見てくれた。が怪訝な表情をしている。再びバイクにまたがり、左グリップを握ってみたところで分かった。グニャグニャなのはハンドルではなく俺の手(というか腕?)の方だった。回旋運動に対して、まったくおさえが効かない。自分の手とは思えない不思議な感触だった。
そこからみんなが待つボレゴまでの約20マイルは地獄だった。激痛が走るため、発進の時以外はクラッチは握れない。左側は大丈夫なのだが、ハンドルが右に切れていく動きに対しておさえが効かないため、斜めに走る深いサンドの波に抗えず転倒しまくった。転ぶと腕が痛くてしばらく動けなくなる。転倒の度にムラカミさんがやってきてバイクを起こし、俺を元気づけるために穏やかな表情で自分の昔の怪我話やBAJAの自然・風景の素晴らしさについて話してくれた。ムラカミさんのXR400RはWRと比べるとフープスでの疲れ方がまったく違う。その上、俺が転ぶ度にエンジンをキックで始動しなければならない。その労力はハンパなものじゃなかったはず。優しさに心の汗が出そうになるのを堪え、ゆっくりと(実はこれが一番疲れる)先へ進む。
走りながら俺は「ああ、たった20マイルで俺のBAJAは終わってしまったのか」、「あんなに準備してきたのに一体何をやってるんだ」というようなことを考え続けていた。出発前、あれほど「プリランで終わっちゃうってのだけは勘弁だぜ」などと軽口を叩いていたというのにペースをコントロールできなかった自分が腹立たしかった。悔しさのあまり叫びながら走った。だが、すべては俺に原因があり、結果が出ただけのこと。愚かなライダーを見逃すほどBAJAの大地は甘くなかったのだ。自分への呪いの言葉も出尽くすと、「まぁ、これもBAJA……か」と達観したかような気持ちになった。あとは全力でセヌーさんのソロ参戦をコッツと共にサポートしようと心に決めた。
すでに日も暮れかかっていた。夕暮れの光が現れる景色すべてをこの世のものとは思えない美しさに変えていた(正直言葉にできないような光景ばかりだった。ぜひ行って自分の目で見て欲しい)。だが、これ以上モタモタして夜を迎えたらもっと大変なことになる。痛みは発明の母、という言葉があったかどうか知らないが、いつの間にか俺はあまり腕やハンドルに頼らない乗り方に変わってきていた。文字通り怪我の功名といったところか。ハンドルが深い砂の抵抗で流されそうになったら、余計に切って急ブレーキにすることで転ばないように真っ直ぐ止まるという変なテクニックも身についた(なんだそりゃ)。また、じょじょに痛くない腕の位置や使い方も分かってきたので、石さえ踏まないように気をつければ(踏むと激痛が走る)サンドのフープスなどはぼちぼち走れるくらいになっていた。とはいえ全体にペースは遅く、みんなの待つボレゴに着いたのは日が沈む直前のことだった。
■マイクス・スカイ・ランチョの夜
「き、来たーーーー!!!」
みんなの歓声が遠くからでも聞こえた。最後の空(から)元気で軽くフロントアップさせてピックアップに向かうと、セヌーさんが「なんだ、たいしたことなさそうじゃん」と笑顔を見せた。ムラカミさんに「ありがとうございました!」とお礼を言って、コッツが手渡してくれたコーラを飲むと、俺が人生で飲んできたどのコーラよりも美味かった。聞けばローレンスは俺が手を怪我してRM183あたりで動けなくなっていたこと、握手したから片手で運転できれば戻ってくるかも知れないことをしっかり伝えてくれていた(もちろん、ミカミは知ってるかハルキは知ってるか四国は知ってるかを一通りやった模様w)。石井サチョーたちもその情報から、救出隊を派遣するかどうか迷っていたところだったらしい。「よし、急がないとマイクスのステーキがなくなるぞ!」という石井サチョーの鶴のひと声で出発。俺はバイクをセヌーさんに預け、ピックアップに乗り込む。3号線を戻り「マイクスロード」に入る頃にはあたりはかなり暗くなってきており、標高があがることもあって気温はどんどん低下していた。

この日泊まる「マイクス・スカイ・ランチョ」へ向かうマイクスロードは幅の広いフラットなダートだった。俺は車の中で「ああ、こんな道を走りたかったな……」と改めて後悔しつつ、鼻水垂らして案内役を引き受けてくれているセヌーさんとサチョー(←メッシュジャージ…)のあとを追う。しばらくすると、道は山を登るにつれてどんどん険しくなり、普通乗用車なら通りたくないようなトライアル的な道に変わっていく。いったいこんな山のてっぺんにある宿とはどんな場所なのか? 期待に胸を膨らませて最後の急坂を登りきると、ライトの光の中にたくさんのバギー、トロフィートラック、ピックアップが照らし出された。どれも今夜の宿泊客たちのものだ。


マイクス・スカイ・ランチョは想像以上に可愛らしい、本当に素敵な宿だった。しかも、たどり着けるのはオフロード野郎だけなんて、こんなに愉快な宿ってあるか。中庭にあるプールサイドには夜でも整備ができるようにライトを常設したバイク用スペースがあり、食堂ではライダーやドライバーたちが集まってビールを片手に大騒ぎしている。みんな「BAJA」のために集まった者ばかりだ。食堂の壁、天井、巨大な冷蔵庫、どの窓にも数え切れないくらいのチームステッカーが張り付いている。当然BAJA CHICKENのもペタペタと貼っておく。


小さな電灯とタンスがあるだけのシンプルな部屋に荷物を置き食堂へ。途中、同じく宿泊するジョニ男たちと「やっちまったよー」なんて立ち話。フォレストのショーイさんからは親切に氷の入ったフクロをいただいた(ありがとうございます)。さぁメシだ! とみんなでテーブルを囲むと、つい数時間前まで砂漠の真ん中で七転八倒していたことなんか遠い昔話のよう。メインディッシュの(冷凍していないという)ステーキもサチョーの言っていた通り美味でアッという間に平らげてしまった。しかし食事って本当に大切だな。食った途端に元気が出て、「まぁレースまでには少し回復するだろうし、さっき通ったような平らなところだったらイケるかもなー。そこだけ走ればいっか!」なんて思うようになっていた(ビールも入ってたしね)。

みんなも俺が結構普通の顔をしてパクパクご飯を食べていたから、腕の怪我がそんなにシリアスなことになってるとは思ってなかったんじゃないかな。メシを食い終わった後に部屋でやったバハチキミーティングでも、「で、どうよ明日は?」との問いに「いやー、ダメですねw。セヌーさんよろしく」と軽~く答えたりしてセヌーさんの腰骨にクラックを入れてみたり。俺のこの「大丈夫なのかそうじゃないのか本当の状況が分かりにくいボーッとした態度」のせいで、後々みんなに余計な心配をかけた気がする。今後はもっとちゃんと感情を表に出せるようにしていきたい、と真剣に思った。
結局、翌日のプリランはほとんど俺の担当パートのはずだったが、全部セヌーさんに押し付けた(というか、俺的には走れて嬉しいでしょ? くらいのつもりだったw)。肩を落とし気味のセヌーさんを見送ってからしばらくすると夜10時を合図に発電機が止められた。すべての電気照明が消え、部屋にあるのはろうそくの灯がともった小さなランプだけ。暗くなったら寝るしかない。すべてが自然のあるがままだ。寝る前に素足のまま部屋の外へ出て暗闇で空を見上げると、おびただしい数の光がきらめく星空の天幕が広がっていた。これまで見たことのない、驚くべき夜空だった。こんな素晴らしい場所まで来れたんだ、悔いは無いな。俺はサチョーにもらった強烈な痛み止めをたっぷりの水で流し込み、長い一日に終わりを告げるべく布団に潜り込んだ。(つづく)