■BAJA CHICKEN 第32羽 「05/31 チキンたちの一番長い日(3)」

■サミットを越えてゆけ
よりによって俺がサミットを走ることになるとは……。いちおう携帯電話を取り出して見てみるが表示は当然圏外だ。やっぱりイリジウム携帯(衛星回線)をレンタルしておくべきだったか。しかし、今さら何を言っても始まらない。こうなってしまった以上、サミットを越え、RM160ラグナサラダまで行くしかないのだ。実のところ、どっちみちヌエボでサポートチームと合流しても、自分が走ると伝えるつもりでいた。セヌーさんの両親指はもう、ガレ場でハンドルを押さえられるほどの力は出せないはずだからだ。俺はトリプルカーボをひと口飲み、覚悟を決めるとサミットへ続く一本道を駆け上がり始めた。
▲こっち見んな。
プリランの時にサチョーたちが言っていたように、サミットの登りはそれほど酷くガレてはいなかった。とはいえ、ハンドルを左右に振って頻繁にラインを変えながら走るのは、腕の負担を考えるとそう長くは続けられない。できるだけ直線的に、止まってしまうとやっかいなので適度なペースを保って登っていく。それまではずっと無人の山だったが、ちょっとした向こう側の見えない登り坂の横に人が立っているのが見えた。「観客のいるところに危険あり」。アクセルを戻しつつ小さな丘を乗り越えると、下り側がコークスクリュー気味にすぐ左にカーブしていた。あ、あぶねー……。調子コイてまっすぐ突っ込んでいたら間違いなく深い崖下へまっさかさまだ。もしかしたら俺がSCOREの設置した"危険マーク"を見逃してただけかもしれないけど、人がいてくれて本当に助かった。まぁその人は俺が崖下に落ちるところが見たかったのかもだけど……。
エンジンをボコつかせながら長い坂を上りきると、その場でエンジンをストールさせてしまった。「ふー」。WRが休めって言ってんだな、とキャメルバックの吸い口を手で手繰り寄せる。ふと顔を上げると広大な景色が目に飛び込んできた。あとから分かったのだが、そこがサミットの頂上だった。映画で使う書き割りみたいな光景とヘルメット越しに聞こえる風の音だけ。「なんつーところだ……」。しかしそれも嵐の中に出現した一瞬の静寂でしかない。すぐにセルを回してバイクをスタートさせる。
登りは想像以上に楽だったが下りは地獄だった。ゴロゴロと動きまくる石だらけの坂道を下るのだが、やはり左腕のせいでハンドルさばきがおぼつかない。ハンドルはできるだけ動かさず、ここからあそこまで、と決めて直線的に走る。たどり着いたら次のポイントを探して一気にまっすぐ下る。目指すのはたいていアウト側だったので、勢いあまって崖下に飛び出しそうになることも。覗き込んでみると絶対にリカバリーできるような斜面じゃない。肝が冷える。一度、石にヒットした拍子にフロントタイヤが思い切り山側を向いてコース外に飛び出した。谷側じゃなくて良かったが、そこには背の低いサボテンが群生しており、転倒した拍子にグローブとモトパンがトゲだらけになった。分かりやすいものだけ抜いて走り出すと、時々チクリチクリと肌を刺した。
サミットの下りに道がかなり大胆に分岐するところがあった。結局は同じ道に戻ってくるのだが、初めての経験なので不安になる。やはりプリランは重要だ。途中、止まってかなり離れたもう一本の道を仰ぎ見る。こっちで本当にいいのか? しかし、正直いまの体で下ってきたばかりのガレガレ道を登り返せる自信もない。道が合流した時の安堵感といったらなかった。後日セヌーさんから聞いたんだけど、以前のサミットの登りは今回の下りのような状態だったとか。だとしたらそらしんどいわ。下りは転がり落ちてでも進めるけど、登りは一歩も進めなくなるもんね。「どこまで続くんだよー!」と叫びながら降りていくと角度がさらに急になり、ふもとへ降りていくような雰囲気になった。XR650Rを道端にとめてこちらを見ているアメリカ人がいるのに気が付いた。「ヘイ! ここがサミットの終わり!?」となかば泣きつくように聞くと、野球でいうセーフのジェスチャーとともに「おしまいだよ」と教えてくれた。「やったー!」。いつの間にか俺はサミットを越えていた。
■信じる気持ち
サミットを下りきると、そこから先はサンドメインの比較的簡単なルートになった。少し考え事をしながら走ることができる。果たしてセヌーさんとコッツはどうしてるだろうか? 一番楽天的なのは、俺がヌエボを通り過ぎるのをふたりが目撃していて、慌ててラグナサラダへ向かっているという考え方。だが、これは時間的にないと思う。やはり俺が先に通り過ぎて、セヌーさんたちがその後にヌエボに到着したと考えるのが自然だ。
RM83からRM103のヌエボジャンクションまではたった20マイルしかない。サミットに突入してから越えるまでどれくらい時間がかかってるか分からないが、こんなに経ってればおかしいと思うはずだ。ふたりの行動をシミュレートしてみる。腕のこともあるし、たった20マイルでもクラッシュしたり(前科アリw)、どっかでハマってたっておかしくはない。そう想定しているとしたら、来るのを信じて延々待っているかも知れない。「待つのがBAJA」だ。しかし、セヌーさんのことだからクラッシュして動けなくなったと思えば捜索を始めるはず。どうやって? まずはウェザーマン無線に耳を傾ける、交替したばかりのライダーを捕まえてクラッシュしていたバイクがいなかったか聞く。コース脇を歩いて救出に向かう。まさか。あとは? ……そうだ、俺たちにはGPSがあるじゃないか。
WR450Fに搭載したIRC製GPSトラッキングデバイスは、GPSで測位した座標をイリジウム経由でリアルタイムに発信する。SCOREの本部はそのデータを元に参加している全車両の位置と、その時の移動速度を知ることができるのだ。そして、今年からそのデータは一般にもインターネット経由で公開され、遠く離れた日本でも誰がどこを走っているか地図上で確認することができる。セヌーさんはきっとそれを利用しようとする。携帯電話のつながるところに移動して日本の誰かを呼び出し、ネット上で俺の位置を確認させる。うまくいけば俺がサミット周辺を走っていることを知って、悪態つきながらラグナサラダへ車を飛ばしているはずだ。もし俺が逆の立場だったらそうする。だから今はセヌーさんとコッツを信じて走るしかない。
■熱砂の中をゆく
照りつけるような日差しにトリプルカーボを飲む回数が増える。サミットの下り以降、山の東側部分は時間とともに気温も上昇していた。飲料水はどれくらいあるのだろう。確認したいが止まるのがもったいない。とにかく走ろう。曲がりくねったサンドのコースをひたすら突き進む。途中、観戦客の車がコースを逆走してくるのに何度か遭遇した。バイクとATVがあらかた行ってしまったので4輪が来るまでの間に安心して走ってるのだろうが、突然出てこられるとこっちは死にそうに驚くからやめてほすい。サミットを越えるとそういう観戦キャンパーが増えてくる。そういう人たちのところで、故障したATVをなんとか直そうとしているシーンを2度ほど見た。
サンドの直線フープス(この頃には一番好きな路面になっていた)を走っていると、ライダーがひとり、バイクを押してコースサイドを歩いているのを見つけた。この炎天下、隠れられるような場所はまったくない。通り過ぎてしばらく考えてから、戻って声をかけてみた。情けは人のためならず、だ。濃ゆい顔立ちのライダーはマシントラブルだと言った。水は? と聞くと「たっぷりあるから大丈夫、ありがとう」、「それよりも先を急げ」と微笑む。いやいやいや。アンタ死んじゃうよ? マジで。すると「今仲間が自分をピックアップするために向かってる」とのこと。そっか。じゃあいちおうアナタのサポートチームを見つけたら声かけとくね、と言いコースへ復帰。
……するはずが、あさっての方向へ走り始めていた。あのライダーは俺がさっそうとワケわかんない方向へ走り出したのを見てあっけにとられたんではなかろうか。自分の方向音痴の言い訳をするんじゃないが、本当に360度どっちを向いても同じ風景なのだ。目標物ははるか遠くに見える山ぐらいなもの。それも一発アクセルターンでもすれば「あれ、どっちがどっちだっけ」となってしまう。しばらく走ってからまったくオンコースじゃないのに気づき、慌ててVターン。はるか遠くに見えるさっきのライダーの位置と、彼の歩いている方向からなんとか当たりをつけリカバリーを試みる。偶然オンコースとぶつかったので今度こそ本当に復帰。正直あぶなかった。カッコつけずに今度からは慎重に方向を見定めてから走り出すように>俺。
■本当の全開走行
延々と続くサンドをくぐり抜けると路面が変わった。視界から植物が消え、地平線に囲まれる。道は固く引き締まり、はるか彼方までまっすぐ続いている。「……」。これがドライレイクか! さえぎるものは何も無く、速度をゆるめるポイントもなかった。FRM風に言えば、もの凄いスピードで路面がフロントタイヤの下にたくし込まれていく。叫ばずにはいられなかった。「ぎゃーーーーー!」 こんな世界がこの地上にあったとは!
石もなく本当の本当に真っ直ぐなのを確認して5速全開にしてみた。パカパカやるんじゃない、カチッというところまで回してそのままにする本当の全開走行。人が変わったみたいにWR450Fがまったく違う顔を覗かせた。矢のような、というかミサイルみたいな加速。情けなくて申し訳ないが、最長4秒間持続させるのが精一杯だった。あんなスピードでレースしているヤツらがいるとは……。それでも徐々にスピード感覚が麻痺してきてペースがあがる。心の片隅で「やばいよ、やばいよ」と誰かが言っている。本当にゆるやかな、コーナーとも呼べないようなコーナーのイン側にノーブレーキで突っ込もうとした時、フラットだと思っていた地面に大きなブレーキングギャップができているのを見つけた。減速は間に合わない。ちょっとしたフープスみたいになったギャップのひとつめでケツを跳ね上げられ、斜めになったふたつめでハンドルをとられ、体制を崩したまま突っ込んだみっつめでブッ飛びそうになった。「!!!」 転ばないで済んだのはもう単なる偶然でしかなかった。心臓はのどちんこにタッチしたあと、しばらくそこにぶら下がって戻ろうとしない。

バックパックの中に入れたお守りのおかげだ、と思った。今回の旅の直前、前の前の前の会社で一緒に仕事をしていたノリちゃんから成田山のを、そして友達の彼女のトモちゃんから手作りのお守りをもらっていた。どちらも怪我なく無事に帰ってこれるように、といただいたものだった。なのに俺はプリランの日、お守りを車に入れたままバックパックにしまうのを忘れて走り出した。そしてあのクラッシュが起きた。今のはお守りのおかげだったのだ。走りながら「高い金出して視力回復したんだもっと前を見ろ」、「次派手にクラッシュしたら骨が飛び出るぞ」などと自分を戒める。まぁ、どこまでが安全なスピードか、なんて分からないので適当に。あとから考えると、隠れ岩のひとつでも踏んでいればいつでも俺は吹っ飛んでいたように思う。
■RM160 ラグナ・サラダに到着
はるか彼方に立ちのぼる土煙を目指して突っ走っていくと、コースサイド両脇に数え切れないくらいのサポートカーの列が出現した。俺たちがプリランで来た時とはまるで様子が違うが間違いない、RM160ラグナ・サラダに到着したのだ。左右をキョロキョロと見ながらゆっくりと進んでいく。が、257xのチェイスカーは見当たらない。とりあえず、サポートカーの列の一番奥にあったMag7に行ってガスと水の補給をしてもらう。メッセージを残したい、と言うとライダーの通過チェック用ノートみたいなのを持ってきてくれた。「サポートチームへ。257xはここにいる。RM160にいる」と伝言を書いてもらう。ガス補給の間に来ているかも知れなかったので、もう一回りしてチェイスカーがいないことを確かめた。それから国道5号線へと通じる1本道の出口で待機することにした。時計を見ると12時10分だった。
スモーク入りのゴーグルを取ると、地面の照り返しで目が開けていられないほどだった。頂点付近から降り注ぐBAJAの太陽光線が容赦なく体力を奪っていく。ヘルメットを取ると黒髪が熱を吸収して、あっという間に熱中症になりそうだったのでかぶりなおした。いつまでもこうしてはいられないな、と本能的に思った。だが、この道の出口を監視し続けなければ、広いラグナ・サラダの中で行き違いになる可能性がある。動くことはできなかった。5号線の方向を見ると地平線上で陽炎がゆらめいている。その中を地面から浮いたようにポツリ、ポツリと車が現れる。目視で確認してから車種が分かる距離までくるのにゆうに5分はかかる。黒いピックアップに何度も期待を裏切られた。
最初に話しかけてきたのはアメリカ人の若い青年だった。明らかにレース中のライダーがあさっての方向に続く地平線を見つめているんだから不思議に思っても無理はない。「どうしたんだい」というから、チームとはぐれたこと、たぶんここで会えるはずなので待ってることを伝えると、テントに戻って冷たい水とハム&チーズのサンドイッチを持ってきてくれた。礼を言って水をごくごく飲んだあとにかぶりつくと、サンドイッチのあまりの美味さに泣けた。そして同時に自分が空腹だったことを知った。それからしばらく待っていると、小さな男の子がやってきて水をくれた。振り返る方向を見ると親父らしき人物がテントの中から手を振っていたので、わかりやすいように拝み倒してから水を受け取る。
次にオッサンがやってきて仲間と連絡を取りたいならうちの無線を使え、と言う。見ればドでかいアンテナがキャンプにおっ立っている。あんだけ強力そうならチェイスカーの無線にも届くかも! と周波数を合わせてしゃべらせてもらう。「えー、こちらホッパーです。セヌーさんとれますかどうぞ(←日本語)」。自分でもこれ以上ないってくらいマヌケな光景だ。結局返事はなかったが「使いたい時はいつでも言ってくれ」と声をかけてくれた。持ち場に戻って地平線に目を凝らす。すでにラグナ・サラダに着いてから30分以上経過していた。もしまったく気がついてなかったらどうする? だとしたらこのままRM206ボレゴまで行って3号線沿いで待った方が時間の節約になるんじゃないか? いや、もしかしたらもうすぐそこまで来てるかも知れないぞ。様々な考えが浮かんでは消える。とりあえず、適当に逆算して13時半まで待ってこなかったら行こう、と暫定的に決めた。バイクはそのままにして、走ってMag7へ行き、伝言を付け加える。ヘリコプターのローター音が聞こえたのはその時だった。
■モンスター襲来! そして…
Mag7のテントから飛び出して見上げると、サイドからカメラを突き出した小型のヘリコプターが超低空でラグナ・サラダ上空をかすめ飛んだ。近くのピットがにわかに慌しくなる。遠くから猛獣のうなりみたいなのが聞こえてきたな……と思う間もなく1台のトロフィートラックが姿を現した。土煙の山みたいなのを引き連れて全開で突っ込んでくる。ピットの前で急停車するとクルーがマシンに取り付いて作業を開始した。あたりはもうもうたる土煙で視界は悪い。とてもじゃないがバイクのある側に戻ろうという気になれなかった。クルーが道をあけろと叫ぶやいなやトロフィートラックがフル加速で発進した。フロントサスが伸びきり、あれではドライバーは空しか見えないんじゃないか、という角度で走り去るトロフィートラック。モーターボードみたいな動きだった。あとからやってきたATVがこんな視界では走れん、とばかりに道の端に寄ってしきりに後ろを気にしている。
土煙が落ち着くのを待って道を渡るとまた別のヘリが頭の上を通過した。大きく弧を描いてコースと平行するように飛び始めると、2台のトロフィートラック(1台はバギーだったかも)がほとんど同時にやってきて止まることなく全開で通過していった。ヘリからもきっといい絵が撮れたことだろう。しかし、あんなのと一緒にレースするなんて正気の沙汰じゃない。こっから先は命がけだな、と思った。バイクのところへ戻ると、冷たいタオルを持ったおじさんが現れて「これで首の後ろを冷やしなさい。それとここにこうしているのはあなたの健康にとても悪いから、あそこのサンシェードの下に入りなさい」と反論を寄せ付けない調子で言った。なんでみんなこんなにいい人ばかりなんだw。見るとそのテントからなら今いる位置を監視することができそうだった。「OK。ありがとう」と礼を言い、冷えたタオルを首に当てる。自分の首筋がやけどしたみたいに熱くなってると分かった。
バイクにまたがってエンジンをかけようとした時、地平線上に黒い豆つぶみたいなピックアップトラックが現れた。「あの1台だけ」と思って待っていると、それはみるみる大きくなりトヨタのTUNDRAになった。フロントガラスの右上には白いカッティングシートで257xと書かれている。パッシング一発。チョッパーを待つ兵士の気分が少し分かったような気がした。時計を見ると13時20分だった。(つづく)